NOBUKO KAWAHARA SUMI ART
by kawahara_n
持田健史 無視覚造形展 明日より開催
 持田さんは現在、左目の視力が無く、右目は光を感じる程度の視力しかありません。初めから視覚がなかったわけではなく、成人してから徐々に視覚を失っていきました。そこで以前見たものの記憶や、聴覚や触覚も動員して制作を続けられています。今回の展示作品においても、人の顔、それも大きく声を発している顔、唇や手などのモチーフが見られ、これはまさに聴覚や触覚の象徴的な表現ともいえましょう。
 さて、一般論として作品を鑑賞する際に、聴覚や触覚が重要な要素となる造形作品はあります。その際、視覚や聴覚に障がいのある方、あるいはない方がそれぞれの方法でその作品を鑑賞することになります。
 しかし、今回の展示作品は鑑賞者ではなく制作者自身が視覚を失っていて、作品を制作しています。したがって作品の完成後の造形的要素、つまり色彩、形体、大きさ、作品が展示室の中で全体としてどう見えるのかについては、作者は想像はできますが最終的な視覚的確認はできません。制作途中においても作品との視覚的な対話や確認は不可能で、ただ触覚、聴覚、あるいは嗅覚の感覚を通しての対話であり確認であるわけです。このような制約がある中で、どのような造形作品が可能なのでしょうか。それはおそらく作者自身にしか、あるいは作者自身にも分からないことなのではないかと思います。
 そして同時に重要なことは、鑑賞する側も、特に視覚を失っていない鑑賞者が、どこまで視覚のない作者の制作した作品を鑑賞できるか、ということです。ただでさえ街や美術館には作品が溢れていますが、それらの作品をただ見ただけで、本当に鑑賞したことになるのでしょうか。視覚がある、目が見えるというだけで世界を本当に見ている、つまり理解したり、共感したり、批判したりすることができているのでしょうか。私たちはもしかすると世界に対して、視覚のない方々よりももっと深刻な盲目の状態に陥っているのではないでしょうか。持田さんの作品を見ていると、見ることと見られること、制作することと鑑賞することの関係性、私たちを取り巻くこの世界を理解することの難しさ、そして生きることへの微かな希望を感じることができます。みなさんはどのようにご覧になるでしょうか。
特別Gセレクション(文:松田弘/一般社団法人HAP 理事)より引用する。
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gallery G(広島市中区上八丁掘4-1)9日18;00~20:00 レセプションパーティー&ギャラリートーク  ほぼ同年代の武蔵野美術大学の同窓ということもあり、よろしかったらのgallery Gへお運びください。作家さんは期間中在廊されていらっしゃいます。

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by kawahara_n | 2018-01-08 13:38
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